【成功する沖縄移住】自分の道を貫くための移住で豊かな暮らしと生きがいを手に
広報マンとしてのアイデンティティを全うするため、沖縄に移住した人がいる。あえて高収入の職を蹴り、しかも一人娘と離れてまでベンチャー企業に転職。そして本当の意味の生きがいを見出そうとしている人に迫った。
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販促ではなく本来の意味での広報をやりたい
Gさんは大阪府の生まれ。最初に就職した会社で広報部に配属されたことをスタートに、主に広報畑を歩んできた。
しかし、ある外資系企業に勤めていた時期に、広報とは単なる販促活動の一環なのかと疑問を抱き始める。
そこで本来の意味での広報、すなわちパブリック・リレーションズに立ち返ろうと考え、その会社を退職することにした。
自分が強みとするメディア対応を中心とした広報の仕事に立ち返りたい。そして意志決定の早いITの世界で働きたい。
Gさんはそのコンセプトに沿って転職先を探し始めた。地域としては東京、大阪、沖縄の三極を想定していたという。
東京は当時住んで働いていたところ、大阪は生まれ育った土地、そして沖縄は奥さんの出身地。いずれもベースとなり得る土地だ。そのなかでも筆頭候補はやはり東京だった。
転職先は東京の上場企業と沖縄のベンチャーの二択
さっそく品川にある会社から内定が出た。国内外に拠点を持ち東証マザーズに上場する、しっかりした企業。
しかし、当時のGさんの自宅から通勤するとなると、乗り換えも含めて片道1時間半くらいかかる。転居も考えたという。
一方、東京の自宅にいるままハローワークのホームページで沖縄の会社も探した。そのときたまたま沖縄のIT企業が広報担当者を募集していることを知る。
これはレアケースといっていい。IT系で広報部門を持っている会社はそう多くないからだ。
特に沖縄では本土企業の下請けや子会社が多いので、広報担当をあまり必要としない。
Gさんはその会社と連絡を取り、広報のポジションが空いていることを確認して応募した。そして同社の社長が上京した折りに会い、内定にこぎ着ける。
これで東京と沖縄、2社から内定をもらった。東京は基盤も強固な会社だが、広報業務としてはそれまで積み重ねられたブランドの強化が中心となりそうだ。
ルーティンワークとまではいわないが、過去にやってきたことの繰り返しになるかもしれない。
一方の沖縄の会社はほとんど無名のベンチャー企業で、これからブランドを作り上げていく。仕事はクリエイティブに思え、おもしろそうに感じた。
沖縄にも足を運んで会社訪問をしてみたり、沖縄への転職に強い人材紹介会社に「どんな会社?」と聞いてみたりと情報収集を徹底した。
その人材紹介会社が紹介したわけではないので、Gさんの情報収集に協力したところで一銭にもならない。
にもかかわらず、とても親身になっていろいろ教えてくれたという。このあたりは沖縄特有の肝心(チムグクル)なのだろう。
教育問題を考慮し一人娘を東京に残して沖縄へ
ところで彼はもともと特に沖縄ファンでもなかったし、奥さんは沖縄出身であるにもかかわらず、移住を考えていなかった。その理由のひとつに子どもの教育問題があった。
沖縄県の学力レベルは長年全国最低だった。近年は改善の兆しが見られるものの、いわゆる全国学力テストでは2007年度の開始以来、全国平均を下回る結果が続いている。
中高一貫の進学校がいくつかできて、東京大学などの難関校に進学する子も増えてきたが、それはごく一部。全体的にはやはり学力の低さが歴然としている。
そうした環境では子どもの教育に不安を抱くのは当然だ。ちなみに昔は沖縄県民でも経済的にゆとりのある家庭は子どもを中学くらいから県外に出すケースもかなりあったくらいである。
さらに沖縄では通学や通塾で車での送り迎えが必要になるケースが多い。手間もかかり、それを奥さんが中心となって負担するとなると生活を圧迫しかねない。
また、Gさんの奥さんも沖縄出身で一度本土に出た経験があり、子どもがいずれ沖縄に住むにしても、一度は県外に出たほうがいいという考えだった。
そうした諸々の理由から、Gさんは一人娘を本土の学校に通わせ、沖縄には夫婦だけで移住することにした。
子どもと離れ、夫婦二人暮らしになるので多少寂しいかもしれないが、教育問題を解決し、移住・転職を実現するための現実的な選択だったのだ。
趣味は組踊とダム
沖縄でのGさんの職場は宜野湾市にある。自宅も宜野湾市内だ。通勤は車もしくはバス。会社まで10分とかからない。
ただ、彼は運転免許を持っていないので、車の場合は奥さんが運転する。
仮に東京の品川にある会社に転職していたら、通勤は満員電車に揺られつつ乗り換え2回、1時間半かかってやっと到着だ。その通勤地獄に比べたら、車通勤ははるかに快適なのはいうまでもない。
時間的に考えても、会社への行き帰りで1日3時間、1ヵ月で約60時間、年間約700時間を有効活用できる。
これにより人生をトータルで豊かにできる。沖縄の会社を選んだのはこの点も決め手だった。
仕事は広報担当として会社の情報発信やプレスリリース、メディア対応、会社が官公庁などに提出する書類の作成など多岐にわたる。
移住後、今の会社に入ってから給料は半分になった。といっても東京の外資系企業に勤めていたころと比較しての話だ。
外資系はそもそもベースの給料がいい。その半分だからそれほど低いわけではないという。それどころか十分評価されていると認識している。
また、趣味については組踊とダムだという。組踊とは、歌と三線による音楽と台詞、舞踊の3つを組み合わせた歌舞劇である。
音楽、言葉、踊りはもちろん、筋立てや衣装も含めて、琉球芸能を詰め込んだ宝石箱のようなものだ。
日本の歌舞伎、ヨーロッパのオペラ、アメリカのミュージカルなどと並ぶ、沖縄が世界に誇る舞台芸術である。1972年には沖縄の日本復帰と同時に国の重要無形文化財に指定された。
ダムを見るのも好きだ。東京に住んでいるとダムなどなかなか見に行けないが、沖縄なら比較的気軽に行ける。その気になれば1日で3、4ヵ所巡るのも可能だ。
「ダムを見ていると、東京では気づかなかったあたり前の生活についていろいろ考える。しかもそのあとに海を見ると、あぁ海っていいなぁと思ったり」。ダムと海は相乗効果をもたらすらしい。
やりたいことができて地域のためにも役立ちたい
移住してきてよかったことは、仕事においてやりたいことができている点だとGさんは話す。「履歴書の内容を充実させることができた」ともいう。
地方創生が叫ばれる時代だが、地方でプロフェッショナルとして活躍している人は、東京に比べると圧倒的に少ない。
でもGさんには広報という武器があって、それで会社に利益をもたらすのが役目だと考えているという。
将来はここで得られた知見も活用しながら、沖縄をはじめ地域のためにも役立っていきたいと話す。
さらに、これから移住・転職を考えている人への助言も口にする。「沖縄に来ればなんとかなると考えていたら痛い目にあう」というのだ。
たとえば学生が「なにかが変わるかもしれない」と考えて留学するケースがあるが、多少外国で暮らしたからといって自分に劇的な変化が起きるわけではない。
それと同じように、沖縄が自分のなにかを変えてくれるという期待はしないほうがいい。移住したからといって自分の本質は変わらないのである。
そして仕事の内容や給料にギャップがあることは最初から覚悟しておくべきだし、そんななかで戦って抜きん出るためには武器が必要だ。そこはちゃんと理解しておくべきと、Gさんはアドバイスする。
もうひとつ「比べないことが大事」とも指摘する。東京などと比べてしまうと不満が出てくるし、実際に生活を始めてみると「な~んだ」とがっかりすることにつながる。
そうなると移住という選択自体がまちがっていたことになりかねない。だから比較は禁物である。
それよりも、沖縄でしかできないことを見つけて、それをどう楽しむかを考えてから移住してくるべきであると、Gさんはいう。
東京と沖縄は違う。あたり前だ。東京の価値観を沖縄に持ち込んでも意味がない。
自分なりに沖縄の魅力を発見し、それを味わい享受しようとする姿勢が移住成功につながるということのようだ。
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吉田 直人 よしだ なおひと
沖縄県今帰仁村生まれ。19歳まで沖縄で過ごし、20代は横浜に住む。大学卒業後は都内の出版社に勤務し、30代でフリーランスとなって沖縄に戻る。その後はライター兼編集者として活動。沖縄移住に関する本など多数の著作あり。
著作の紹介
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