【成功する沖縄移住】会社に沖縄オフィスを作らせる力技ってあり!?
移住は転職や転勤をともなうのが普通だが、会社にかけ合って沖縄オフィスを設置させたケースがある。かなりの大技だが、移住成功のためのひとつの手段といえるのではないか。今回はそんなケースを紹介してみる。
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沖縄を目指すIT企業たち
沖縄に進出するIT企業が増えている。新会社を立ち上げたり、本社を移転したり、支社を開設するといったパターンだ。
日本の端っこに位置するため、製造業などでは物流コストがかかって不利になりやすいが、IT業界では物流は関係ないし、通信コストさえ許容できれば距離のデメリットはあまりない。
また、以前は人件費の安さからアジア等の外国に支社を作るという、いわゆるオフショアもよく行われていたが、言葉や慣習などの文化面からうまくいかないケースも見られた。
そこで注目されているのが沖縄だ。言葉は通じるし、若い人材も多い。人件費も大都市と比べれば安い。
J社も、そんなIT企業のひとつである。1999年創業で、業績が低迷する時期もあったが、事業の再編を行った結果、財務体質が大幅に改善され、無借金経営が実現するなど、業績は安定してきた。
その流れに乗り、業績のよくないころにはいっぱい我慢してもらった社員に報いるためにも、また人材に投資する意味でも雇用環境を改善することにした。
その延長線上で、沖縄オフィスを開設に踏みきった。これは経営陣の発案というより、社員の要望によるものだったという。
畑違いのIT業界で苦労しながら身を立てたが満員電車がイヤで移住
その社員というのがKさん。彼さんは大学院まで進んで建築を学び、大手ゼネコンに就職後、IT業界に転じた。
しかし、まったく畑違いの業界で、知識も経験もないまま苦労して仕事を覚えていったという。
その会社では同じ大学で建築を学んだ人がいて、「建築って、ITの仕事に当てはめやすいところがあるよね」といい合っていたらしい。
建築における、人が集ってなにかするという点と、ウェブアプリケーションにおける誰かが操作することでなにかをするという点、いずれも社会学的な面があるという意味で関連性があるというのだ。
「だから建築の人もIT業界に来れば違和感がない」とKさんはいう。
こうして暗中模索しつつ、フロントエンド・エンジニアとしての基盤を築いていった。これはUI(ユーザーインターフェース)を主にやるプログラマである。
28歳で現在の会社に入った当初は設計もするし、実際の制作もするしと、サーバー以外のアプリケーション全体の仕事をしていた。
2年ほど経って、当時の親会社に転籍する。このころから奥さんが「いつかは南国に移住したい」といっていた。しかし、すぐにという話ではなく、当分は南国移住貯金をしようという感覚だったらしい。
このころKさんは自転車で通勤していた。満員電車が大の苦手なので職場へ自転車で通える場所に住んでいた。
しかし、子作りも考えており、子育てには家が狭い。2年に1回の家の契約更新をきっかけに引っ越しを考えていた。
しかし、広いところへ転居となれば通勤は満員電車に揺られて1時間、1時間半となりそうだがそれはイヤだ。
いっそ「通勤できないところへ引っ越そうか」という話になり、南国移住が現実味を帯びてきた。
まずは夫婦で沖縄へ遊びに来た。想像していたとおりのいいところだ。本気で移住を考えようか。
そこで就職先を探してみた。すると地元企業からすんなりと内定が出て「ならば引っ越してみるか」となった。
少し遠くに引っ越す感覚で、ダメだったら東京に戻ればいい、若いうちは動きやすいし…。というわけでかなり軽いノリで移住することになった。
社長にかけあい沖縄オフィス開設を実現
移住から10年後、Kさんは地元企業で働いた後、フリーランスに転身。プライベートでは子どももふたり生まれて充実していた。しかし、仕事においてはひとりでやっていることに限界も感じていた。
彼が専門とするフロントエンドの分野は技術が進歩し、いろいろ新しいものも作れるが、そのぶん手間がかかるのでひとりでは手が足りなくなってくる。
チームで仕事をしたい。そんな思いが強くなってきた。そこで以前在籍していたJ社の社長に相談した。「沖縄オフィスを作ってチームでやりたい」
社長は即答した。「やろう」。J社としてもフロントエンドについては取り組みが遅れているという認識があった。
SNSを見ても使いやすくてわかりやすいUIが装備されているし、J社のサービスでもモダンなUIに変えていきたいという思いもあった。
バックエンドは本社側でしっかりやるので、UIを含むフロントエンドは沖縄オフィスで担当する形でいいのではないか。
そこで沖縄オフィスはフロントエンド制作を専門とするチームが働くサテライトオフィス、という位置づけで開設されたのである。
東京と同じことがやれて同じ評価がもらえるなら沖縄でもなにも問題はない。それどころか子育ても含めた生活環境を考えたら、こっちのほうがいいというわけだ。
仕事も人生も質が向上した
さて、Kさんが勤務する会社の沖縄オフィスの出勤時間は9時30分~10時となっていて、30分の幅がある。
出勤時から9時間経過した時点、18時30分~19時で勤務終了となる。残業はゼロだから、早ければ18時30分に仕事が終わる。
夏真っ盛りの沖縄だと日没が19時半くらいで、20時近くまで明るい。したがって、18時半といえばまだ真っ昼間の感覚だ。
歩いて2、3分の自宅に帰って家族と夕食のテーブルを囲むが、それが終わってからも海へ遊びに行けるほどである。いうまでもなく、Kさんの嫌いな満員電車とは無縁の世界だ。
「通勤ストレスがないのは大きなメリット」と本人もいう。
通勤時間がほぼなくなったぶん、朝30分ほどジョギングをするようになった。
本土に住んでいたころは朝が苦手だったのに、走るようになってからは朝から調子よく仕事ができるようになった。明らかに集中力が上がり、定時までしっかりがんばれるという。
休日は会社近くにあるアラハビーチでビールを飲む。このビーチへも徒歩で行けるので、車を運転する必要がない。
そんなことは気にせず、美しい海を眺めながら、心地よい潮風に身を包まれつつ飲むビールはうまいに決まっている。
「それだけで人生の質がエライ上がった」と、Kさんは実感を込めていう。
平日休日合わせて、この生活リズムがかなり気に入っている。ちなみに平日の昼休みなど、頭が疲れたときにもビーチに出て歩くことがあるそうだ。
自己実現のための沖縄移住、ありかも
前述のようにプライベート面でいえば、沖縄に移住してから子どもが生まれた。しかもふたりだ。
「体をどっかにぶつけたとき、痛い! とはいわない、アガーという」。アガーは沖縄の言葉で痛いという意味だ。瞬間的にこの言葉が出れば立派なウチナーンチュである。
移住してきた当初はいくつか不満もあった。奥さんがパン好きなのにおいしいパン屋がない、ラーメンが好物なのにうまいラーメン屋がない、といったことだ。
しかし、自宅近くにいいパン屋さんがふたつもできたし、近年はレベルの高いラーメン屋が沖縄中にオープンしている。「買い物に困ることもないし、最近は不満も減ってきた」
現在住んでいるのは90㎡のマンションだ。90㎡といえば4LDKでもゆったり取れる広さである。家族4人と犬1匹で暮らすには十分だ。これで家賃は9万円。高くはないだろう。
もともとの移住のきっかけが、子育てのために広い家に引っ越したい、でも満員電車には乗りたくない、という願望だった。
それを見事に実現している。だから、老後はわからないが、今は当面沖縄で暮らそうと思っている。ほかの地域へ引っ越す理由も特にない。
Kさんがいなかったらこの会社の沖縄オフィスはできなかっただろう。転勤でも転職でもなく、自ら会社にかけ合って新オフィスを作ってもらうという新しいワザが広がれば、移住もしやすいはずだ。
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吉田 直人 よしだ なおひと
沖縄県今帰仁村生まれ。19歳まで沖縄で過ごし、20代は横浜に住む。大学卒業後は都内の出版社に勤務し、30代でフリーランスとなって沖縄に戻る。その後はライター兼編集者として活動。沖縄移住に関する本など多数の著作あり。
著作の紹介
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