【成功する沖縄移住】自然豊かなやんばるでの農業に賭ける
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沖縄に転勤で来たのがきっかけで就農・定住へ
本島北部の大宜味村。その気になれば太平洋と東シナ海の両方を見晴らせる高台にFさんの畑がある。
Fさんはやんばると呼ばれるこの地域で農業に取り組む移住者である。生まれは東京。コンサルティングの会社に勤めていたころ転勤で沖縄に来た。
自然が好き、だからもっと自然と向き合いたい、それには農業がいいかもしれないと考えていた。
そして、農業ならたとえ金にならなくても自分で食べるものくらい自分で作れる。そう考えて会社を辞めた。
どこで農業をやるか。生まれ育った東京近郊、九州、沖縄の三者択一だった。そして沖縄を選んだ。
冬場でもできるのは九州も同じ。しかし、あちらでは寒い時期にビニールハウスのなかでボイラーを炊いて暖めている。
でも沖縄ならボイラーを炊かなくてもできる。環境への負荷を考えると、この違いは大きい。そうした、環境への配慮も踏まえた選択だった。
だが、沖縄のどこでやるか。本島か離島かという選択もしなくてはならない。
離島の方が自然環境はいいが、しかし、流通を考えると厳しい。つまり、離島だと、できた農産物を市場に向けて出荷する際に船や飛行機を使わなくてはならない。コストがかさんで競争力が落ちる。
一方、生産も消費も沖縄本島内なら流通の問題はなくなる。
本島内でも自然環境のよさという点ではやんばるだ。ただし、ざっくりいえば本島の面積の半分はやんばるなのだ。やんばるのどこにするかが最終的な問題だ。
村営住宅にダイレクト入居できた
結局Fさんは大宜味村に決めた。それには大きな理由があった。ダイレクトに村営住宅に入居できたことである。
通常、市町村等が提供する公営住宅に入居するには、その市町村に居住していることが条件となる。
そのため、通常はいったんそこでアパートなどの賃貸物件に入居して、もちろん住民票も移した上で公営住宅の入居者募集に応募することになる。
しかし、やんばるのこの地域に賃貸物件などほとんどない。だから、応募前にそこで住居を構えるのはほぼ無理だ。
そこで大宜味村は村外居住者でも村営住宅に申し込みできるようにしていたのである。Fさんにとっては非常に運がよかったといえる。
おかげで大宜味村の村営住宅に村外から直接入居できることになった。ダイレクトというのはそういう意味である。
しかし、農業を始めるにはいうまでもなく農地が必要だ。それなりに時間をかけて使える農地を探した。
その点でも運が味方した。「大宜味で農業がしたい、農業がしたい」といい続けているうち、紹介してくれる人が現れて畑が借りられることになったのだ。
台風にも負けず少量多品目生産を推し進める
念願の農業ができる。意気揚々としていた就農1年目、Fさんは思わぬ試練に見舞われる。
オクラの種をまいて1ヵ月後、やんばるを台風が直撃したのである。オクラの苗は全滅した。
「一年中野菜ができると思っていたけど甘かった。でも経験として受け入れるしかないと思った」
そうした経験も踏まえつつ、今、夏場は15〜20品目、秋から春にかけては「ありとあらゆるもの」を作っていて、その総数は約40品目にもおよぶ。
夏はオクラ、ゴーヤー、沖縄でモーイと呼ばれるウリの仲間など。秋から春にかけてはインゲン、エンドウなどの豆類、にんじんや大根、玉ねぎ、レタスなどの葉もの野菜等々。
いわば少量多品目生産だ。このうちオクラは稼ぎ頭で、夏場まとめて作って大量に出荷する。
「沖縄は亜熱帯気候であることがおもしろい。奄美群島や小笠原諸島も同じだが、そちらは離島なのでやはり流通の面で厳しい。縁もゆかりもない者が専業農家になって経営が成り立つかどうかを考えると、国内の亜熱帯気候地域のなかでは沖縄が自分にとって唯一の選択肢だった」という。
最近では夏場にパッションフルーツを作り始めた。さらに冬場は日本本土ではできないトマトやミニトマトを作る。
「沖縄でやる農業には、ほかの地域では味わえない楽しみがある」
同時に沖縄の農業には、ある可能性も感じている。それがスパイスである。カレーの原料になるウコン、島とうがらし、こしょうなどだ。今後それらにもチャレンジしていきたいという。
さらに自分が生産した農産物を原料にした一次加工もやってみたい。たとえばジャムなどだ。そこまでできれば六次産業化の道まで見えてくるかもしれない。
農薬や化学肥料を使わないが…
環境への負荷を考えて農薬や化学肥料は使わない。一方でそれによるデメリットもある。虫だ。
沖縄は冬でも霜が降りない。それはいいのだが、おかげで年中虫がいる。農薬を使わないので根こそぎ退治することができない。そのためどうしても収量が落ちるのだ。
ほかにも課題はある。今は収入面でかなりオクラに頼っているので、全体に占めるオクラ畑の割合が大きい。その管理に追われている状態だ。
「オクラ畑を半分にしたい」
それによって生まれた余裕をほかの作物に回してさらに生産品目を多くし、営農が成り立つようにしたいというのである。今はその方法を模索中だ。
Fさんは、ほぼひとりで畑の面倒を見ている。奥さんは別の仕事を持っていて、その収入が家計の大きな助けになっているが、農業一本で家族が食べていけるようになれば理想的だ。
大宜味でよかった
村営住宅に入居できたのが大宜味に住むきっかけになったのは前述のとおりだが、実際にこの地で農業を始めてみて、さらにラッキーだったと感じる点がある。名護市に近いことだ。
名護市は人口約6万人。大型スーパーやホームセンターから、総合病院、裁判所、大学まである本島北部の中核都市である。Fさんの自宅から名護市の中心部まで車で30分程度だ。
したがって農産物の出荷に行ったり、農業用の資材などを買いに行ったりするのに非常に便利なのである。
「立地で考えても自分が農業するのに大宜味はベストな場所」とFさんはいう。
水がおいしい点も気に入っている。大宜味の水は甘くてまろやかなことで知られている。都市部から車でやって来て山の湧き水を汲む人の姿もよく見られる。
「大宜味以外の水は飲みにくくてしかたがない」というほどだ。
また、「大宜味を含めて、沖縄は年中行事を大切にしているが、それが農業と密接に関わっていることが、この仕事をしているとよくわかる」と話す。
たとえば「アブシバレー」という5月ごろに行われる伝統行事があるが、これは田んぼや畑にいる害虫を海に追い払って豊作を祈願するものだ。
こうした行事の際にめったに会えない人に会えたりするので絆を深める意義もある。
「そんな行事にも参加できて、大宜味の人たちは県外の人間も受け入れてくれる。本当にありがたい。大宜味で農業を始められてよかったと思う」
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吉田 直人 よしだ なおひと
沖縄県今帰仁村生まれ。19歳まで沖縄で過ごし、20代は横浜に住む。大学卒業後は都内の出版社に勤務し、30代でフリーランスとなって沖縄に戻る。その後はライター兼編集者として活動。沖縄移住に関する本など多数の著作あり。
著作の紹介
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