豚、牛はもちろんヤギも食う! 「肉食」文化が華開いたのはなぜか
2022年9月に入り、沖縄でもやっとコロナ禍が落ち着いてきた観がある。また、国の水際対策も緩和されつつある。そんな状況で地元側が望むのは、カンバック観光客だ。秋に向かって暑さも多少は和らいでおり、気持ちよく観光できる季節である。さらに、本土より季節感には乏しいものの、秋といえば「食」だろう。というわけで多少コジツケ観はあるが、今回も食べ物の話をお送りしたい。せっかくなので、コロナウイルス感染者数の減少を祝い、さらなる終息を願って、景気よく「肉」に関する雑学をどうぞ。
メニュー
栄養のある食べ物があまりなかった
ウチナーンチュは別名「肉食人種」ともいわれる。筆者が勝手にそういっているだけなのだが、ウチナーンチュの肉好きは自他ともに認めるところだ。とはいっても、好きこのんで肉食人種になったわけではない。それには環境のせいもあった。
まず、米があまり採れなかったこと。今でも沖縄では、来てみればわかる通り田んぼが少ない。気候や地形的な問題から、石垣島などを除くと稲作は昔も今も主要産業にはなり得ていない。
さらに、野菜栽培も盛んではなかった。特に真夏の直射日光は強烈で、この時期に野菜など採れるわけがない。収穫できるのはせいぜいゴーヤー、ナーベラー(ヘチマ)、スブイ(冬瓜)など、ウリ系ぐらいである。
魚は、海に出ればまあまあいるものの、脂ののりが今ひとつだし、ウミンチュ(漁師)でもないかぎり、なかなか獲れるものではない。
つまり、栄養のある食べ物があまりなかったのである。そこでタンパク源としての肉はきわめて有用であった。特に豚である。
仏教が広がらず4本足タブーがなかった
ただ、ここでひとつ問題がある。江戸時代まで日本では4本足の動物を食べるのがタブーだった。事実上薩摩の支配を受けていた琉球では、豚やヤギを食べてもOKだったのだろうか。
もちろん答えはOK。琉球王国には、そのようなタブーはなかったのである。最大の理由は仏教があまり普及しなかったこと。日本で4本足を食べなかったのは、仏教が殺生を禁止していたためである。沖縄は仏教に染まらなかったため、肉食はおかまいなしだったのだ。
そして豚を食べる文化が根づいた。これは動物の肉のなかでは豚が一番高級であるという中国の思想の影響もあったようだ。1609年以降、薩摩藩の支配下に入っても、もちろん豚肉を食べる習慣は途絶えることはなかった。
豚の中の豚ともいえるアグー
その豚肉文化の核心といってもいいのがアグーである。アグーというのは、沖縄在来の黒豚で、鹿児島の黒豚の祖先ともいわれる。このアグーが少しずつ出回って評判を呼んでいる。ただ、地元民としては、アグーは観光客向けの客寄せ豚であって、ウチナーンチュの口にはあまり入らない気がする。被害妄想だろうか。
アグーは産む子豚の数が少なくて成長も遅いので、明治期に入ってきた西洋豚に押され、主役の座を降りた。さらに沖縄戦でほぼ全滅。戦後ハワイから白豚が入ってきて広く普及し、アグーの存在は忘れられていた。
しかし近年、関係者の努力によって少しだけ残っていたこの黒豚が復活。そのよさが再認識され、生産に力が入れられるようになってきた。アグーのよさは、うまみ成分が多く含まれ、ビタミンB1が豊富で、コレステロールが普通の豚の4分の1と少ないこと。味的には豚本来のうまみが濃く、脂身もおいしい。
料理はシンプルな方がいい。焼く場合は塩だけで十分。下手に凝った味つけにしない方が、アグー本来のうまみが楽しめる。あとはしゃぶしゃぶで臭みのない脂身のおいしさを堪能するのがいい。これが本当の豚の味であることを実感するだろう。
アグーはブサカワイイ。イノシシとアンパンマンを交配させたような、愛嬌のある顔だ。子泣きじじいも、ちょっと入っているかもしれない。食べたことはないが、チラガーもうまいにちがいない。
ヒツジを食っていいならヤギ食ってなにが悪い
ウチナーンチュはヤギもよく食べてきた。いまもその習慣が残っていて、お祝い事などでヤギ料理が振る舞われることがある。とくに家の新築や上棟式のお祝いでヤギパーティーが開かれる。
ヤギ料理は刺身と汁が普通。刺身はショウガ醤油で食べるが、肉のうまさと皮のコリコリした歯ごたえがたまらない。汁の味つけは塩のみだが、肉のダシがたっぷり出てコクがあり、肉はやわらかくてジューシーだ。刺身も汁も独特のにおいがあるが、慣れるととりこになってしまう。
ただ、ヤギ肉を煮ると近辺にものすごい臭いがたちこめるため、通常、家のなかでは料理しない。直径1メートルもある大鍋を外にセッティングし、そこにヤギ肉を放りこんでぐつぐつやるのが普通。だから、ヤギパーティーは外でやることが多い
余談だが、ヤギの味にハマりきってしまったウチナーンチュが東京のペットショップで子ヤギを買い、多摩川の河川敷で煮て食っているのがバレて問題になったことがある。
ステーキが高級だとは思ってもみなかった
戦後に普及したので伝統的とはいえないかもしれないが、沖縄では牛肉文化が華開いたこともよく知られている。「飲んだ後のシメはステーキ」とよくいわれるのも、その一端といってよい。
前述のように、ウチナーンチュが牛肉をたくさん食べるようになったのは戦後である。アメリカ軍が統治していた関係で、牛肉は入り放題食べ放題だった。アメリカ統治下で安い牛肉がたくさん入ってきたからだ。街には米兵やその家族向けのステーキ屋がたくさんできて、ウチナーンチュも出入りするようになった。
また、日本は1991年に自由化されるまでは牛肉の輸入を制限していたが、沖縄だけは復帰後も特別に牛肉輸入割当枠があったので、アメリカはもちろんニュージーランドやオーストラリアからも安くておいしい肉が入ってきたのだった。その意味ではウチナーンチュは恵まれていたので、一般の日本人とは違い、牛肉を高級食材だとは思っていない。そこに目をつけた裏街道の人たちが、沖縄で安い牛肉を仕入れ、密かに本土に運んで高値で売りさばくという「密輸」を行い、手が後ろに回る事件もあった。
それが牛肉の輸入自由化で、日本中に安い外国産牛肉が出回るようになった。いわば日本全体が沖縄並みになったのである。沖縄ではそもそも安いのだから、輸入自由化によって牛肉価格が極端に安くなることはなかった。もちろん値上がりなんてするわけがないと思っていた。
しかし、21世紀に入ったころから沖縄ではステーキの値段が高くなった。以前は1000円ほどで食べられたのに、今は2000円を超えるのが普通になっている。1500円なら安い方だ。そのため、昔と違ってステーキは高級食になっている。これはゆゆしき問題だ。一番安く牛肉が食べられるのが吉野家だというのはおかしすぎる。昔は牛肉密輸団が荒稼ぎできるほど沖縄の牛肉は安かったのだ。今となっては、その時代がなつかしい。
同じカテゴリーの人気記事
2024/11/08
【成功する沖縄移住】秋出現するカーブチーやタルガヨーは何者?
2024/10/11
【成功する沖縄移住】冬こそ食べよう甘さが絶品の今帰仁スイカ
2024/10/02
【成功する沖縄移住】秋はお宝フルーツの島バナナが食べたい!
人気の記事 (note)
吉田 直人 よしだ なおひと
沖縄県今帰仁村生まれ。19歳まで沖縄で過ごし、20代は横浜に住む。大学卒業後は都内の出版社に勤務し、30代でフリーランスとなって沖縄に戻る。その後はライター兼編集者として活動。沖縄移住に関する本など多数の著作あり。
著作の紹介
沖縄で仕事を探す! 移住者のための沖縄仕事NAVI
沖縄移住を成功させるカギ、それは仕事だ! 沖縄における就職事情と、仕事をゲットするコツを伝授。
沖縄移住のバイブル! 金なし、コネなし、沖縄暮らし!
暮らしも遊びも人付き合いも、生活のすべてを網羅した面白本。ウチナーンチュが本音で語る沖縄暮らしの真実。
沖縄暮らしのAtoZ 沖縄移住ガイド 住まい・職探しから教育まで実用情報満載!
どこに住むか、どう働くか、子どもの教育をどうするか・・・客観的視点から生活の実際を紹介する実用ガイド。