【成功する沖縄移住】洗骨習慣の残る粟国島で伝統の「風葬」について考える
2019年公開の映画「洗骨」を見た。細々ではあるが粟国島あたりで続く洗骨習慣を軸にして人間模様を描いた作品だ。ついでに粟国島へ行ってお墓を見てきた。洗骨の前提となる風葬は時代遅れの習慣なのか、それとも自然の摂理にかなう風習なのか、考えさせられた。
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洗骨は風葬習慣のなごりである
日本本土とは異質な文化を持つ沖縄では、葬送文化にも違いがある。風葬が基本であること、洗骨の習慣があることは、葬送文化の大きな相違点である。
ただし、現在では火葬が普通になっており、洗骨もしない。霊園墓地の分譲のような墓を買うケースも増えており、葬送についてはほとんど日本本土と変わらない状況になっている。
しかし、過去には、あるいは現在でも一部離島などで伝統的な風葬や洗骨の習慣が受け継がれている。ザックリいうと次のような葬送スタイルだ。
人が亡くなると、遺体の入った棺は、龕(ガン)と呼ばれる駕籠(かご)に乗せられる。
龕は今でいえば霊柩車の役割を果たすもので、男たちによってかつがれるが、4人でかつぐタイプと、8人がかりでかつぐ大きなタイプがあった。
男手が必要なのだが、戦時中は兵隊に取られたため、やむをえずリヤカーで棺を運ぶこともあったという。
また、一度の葬式だけで龕を捨てるのはあまりにもったいないと、集落で所有してくり返し共同使用するようになった。
龕を中心とした葬列がお墓へ向かい、到着すると庭に棺が降ろされ、墓口が開けられる。そして、シルハラシと呼ばれる平坦な部分に棺が安置される。
葬式の翌朝早く、墓参りに行く風習もある。行ってみたら死者が生き返っていたという伝説が、その背景にある。もしや生き返っているのではないかと、早朝の墓参りに一縷の望みを託すのだ。
しかし、風葬であったことを考えると、実際に蘇生するケースがあったとしても不思議ではないし、その意味では合理的な習慣だったともいえる。
風葬とセットになっているのが洗骨である。これはお墓に遺体を納めてから1年以上経ったところで遺骨を取り出し、洗って改葬する習慣だ。二度葬るので、複葬とか二重葬などと呼ばれるタイプの葬送法である。
洗骨のタイミングは、次の死者が出たときや、旧暦7月の七夕などが多い。白骨化しているのを確認したあと、まだ残っている肉片と骨が分離するよう、お湯でていねいに洗い、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺などに入れていく。
このとき、まず頭蓋骨を洗い、それを亡くなった人ともっとも近親の人に持たせておき、洗った骨を足から上に向かって厨子甕に入れていき、最後に頭蓋骨を一番上にのせる。
ちなみに、実際に骨を洗うのは女性の役割だという。
洗骨は日本本土では見られない風習で、中国南部から台湾、沖縄から奄美大島にかけて行われていた。ちなみに奄美では土葬した遺体を3年以上経ってから掘り返して洗骨していたという。
沖縄は中国南部の福建省と古くから交易があったので、このルートで洗骨の風習が入ってきたとも考えられる。
今も風葬墓が残る粟国島
さて、粟国島である。行ってみると風葬墓のある地域と人が住む地域がきっちり分けられていることがわかった。お墓が集まっているのは島の西部の南海岸に面したエリアだ。
実際のお墓は、斜面の壁に横穴を掘り、まわりをコンクリートで固めたスタイルが多いようだ。自然の地形を利用した素朴な形状に見える。
沖縄本島の墓との一番の違いは墓口。通常はコンクリートの扉になっているが、粟国島のそれは石を積んでふさぐタイプが多いようだ。
映画でも洗骨に訪れた親族が、石を一個一個はずすシーンがあったが、コンクリートで固めるよりも、石積みにした方が墓口を開閉しやすいので合理的なのだろう。
一方、木製の扉を備えるお墓もある。鍵が付いているかどうかはわからないが、おそらく泥棒は入らないだろう。
墓庭から南方向を見ると絶景が広がる。島では「あの世」と呼ばれる地域だが、実際には天国と呼んだ方がいいかもしれない。俗な話をすると、たとえばリゾートホテルを建てれば人気になるだろうと思えるほどのすばらしい環境だ。
ただ、今では粟国島で風葬が行われるのは年に一回程度だという。残りは遺体をフェリーで那覇まで運んで火葬に付しているらしい。
岡本太郎の風葬墓荒し事件
1966年に本島の東に浮かぶ久高島で起きた風葬墓にまつわる事件は有名である。
イザイホーと呼ばれる、12年に一度の祭りを取材するために島を訪れた芸術家の故岡本太郎が、立ち入りを禁じられている風葬の地に入って写真を撮り、それを雑誌で公表したのだ。
風葬地の光景を写真に収めただけなら、まだ許せるかもしれないが、彼は棺のふたを開け、まだ死者の顔が判別できる遺体を撮影したという。
これは墓荒らしともいえる行為だから、久高島の人々は激しいショックを受けた。死者の遺族には精神に異常をきたす人もいた。
島民の間には、岡本を告発すべきだという意見もあったが、結局見送られる。そのかわり、こうした事件の再発を防ぐ意味もあって、風葬を廃止したのだった。
風葬より火葬が衛生的で近代的なのは論を待たないが、それとは別の次元で葬送は文化である。
日本の南の小さな島に残っていた文化を、大芸術家が踏みにじり、過去のものとしたのは残念というほかはない。
また、もし岡本の墓荒らしが、日本人の中で死者に対する畏怖の念が薄れているせいであれば、やはり考えなくてはならないだろう。
風葬場の遺骨流出事件
一方、沖縄本島北部のある村で、崖の洞穴に風葬された人の遺骨が、台風による大波で流される事件があった。
「レージロー、○×△ヌプニガ、ウミチ、ナガサッタンリロー」(大変だ、○×△さんの骨が、海に流されたそうだよ)と、村人たちが青ざめた表情でささやきあっていたそうである。
村人たちにも想定できなかった高波が押し寄せたのだろう。当然遺骨は見つからなかったという。
流された遺骨が安置されていた洞穴を訪れてみると、澄みきった東シナ海が眼前に広がる、美しい海岸だった。おだやかな海面は10数メートルも下にあり、エメラルドグリーンに輝いている。
すさまじい高波が押し寄せる断崖絶壁の風葬場というので、地獄のようなイメージを持っていたのだが、実際には粟国島同様、まるで天国のようなところだった。ここなら風葬にされてもいいと思ったものである。
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吉田 直人 よしだ なおひと
沖縄県今帰仁村生まれ。19歳まで沖縄で過ごし、20代は横浜に住む。大学卒業後は都内の出版社に勤務し、30代でフリーランスとなって沖縄に戻る。その後はライター兼編集者として活動。沖縄移住に関する本など多数の著作あり。
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